「先生、Can you〜?(〜してくれませんか)が、Could you〜?(〜して下さいませんか)になると、どうして丁寧な言い方になるんですか。」
とても良い質問だ。 先日、ある塾生が授業後に、そんな質問をしてきたので、私は彼女にこう説明した。
「諸説ある。それは大前提として聞いてね。」
「時間という概念を距離に置き換えて考えたときに、 現在から見て過去は過ぎ去ったことであり、そこに距離が生まれるよね?」
「はい。」
「そこがポイントだと思う。時制の形を過去形にすることで、相手に対して少し距離が生まれるわけだ。」
「はい。」
「例えば、変な日本語だけど、よくこういう店員さんいるよね? 『お客様、こちらの商品でよろしかったでしょうか?』と言ってくる店員さん。」
「はい。」
「それは、きっとより丁寧に接客したくて、言っているんだと思うけど、なんか変な日本語って思っちゃうよね。 『こちらの商品でよろしいでしょうか?』で本当はいいはずなんだよ。」
「なるほど。」
「でも、より丁寧に接したくて、『〜よろしかったでしょうか』と言ってしまう。」
「ふむふむ。」
「時代劇を見てても、よくお殿様が、『苦しゅうない、ちこうよれ(近くに来い)。』っていう場面があるように、 目上の人って、なかなか近付きにくい存在なのだよ。」
「はいはい!」
「だから、あえて過去形にして、相手との距離を作ると、その人を敬うことにつながっていくのだと思うよ。」
「なるほど!だから過去形を使うと丁寧になるんですね〜。」
この説明で納得してくれたようだった。よかった。
わたしは、 同じ質問を巷で話題の「Chat GPT」に投げかけてみた。
以下、AIとのやりとり。全文そのまま載せておく。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 私:なぜ、「Can you〜?」を「Could you 〜?」にすると、丁寧な言い方になるのですか?
AI:「Can you~?」は直接的で、簡単に言えば「〜できるか?」という意味です。 しかし、「Could you~?」はより丁寧で、正式な表現です。 これは、動詞「could」が過去形であるため、過去の丁寧な要請を表すと解釈されることがあるためです。
つまり、「Could you~?」は「もしよければ、お願いしたいのですが、〜していただけますか?」というように、より丁寧な表現として認識されます。 また、この表現は、相手に対して強制的でなく、オプションとして提案されているという印象を与えることもできます。 したがって、「Can you~?」は日常的な会話で使用される場合がありますが、 「Could you~?」はより丁寧な表現として、よりフォーマルなシーンでの使用が推奨されます。
私:なぜ、過去形にすると丁寧になるんですか?
AI:英語で、動詞の過去形は、過去の出来事や状況を表すだけでなく、丁寧な表現にも用いられます。 これは、過去形が時制の一つであるだけでなく、丁寧さや敬意を示すフォーマルな表現の手段としても機能するためです。
例えば、「Can you open the window?」という直接的な表現は、相手に対して無礼な印象を与えるかもしれません。 一方、「Could you open the window, please?」という過去形の丁寧な表現は、相手に対してより礼儀正しい印象を与えることができます。
また、「Would you be able to~」や「May I ask you to~」のような、過去形を用いたよりフォーマルな表現は、さらに敬意を表すことができます。 これらの表現は、相手に対してより謙虚で丁寧な印象を与え、社交的な場やビジネスシーンでのコミュニケーションに適しています。
つまり、英語において過去形は、時制の一つであるだけでなく、敬意や丁寧さを表すフォーマルな表現の手段としても機能することができます。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
なるほど。たしかにすごい。まるで人間と話しているかのような滑らかさだ。 だが、ちゃんと質問に答えられていない。
>> これは、過去形が時制の一つであるだけでなく、丁寧さや敬意を示すフォーマルな表現の手段としても機能するためです。 ↑それがなぜなのか知りたいのだよ。
私の説明の方が、圧倒的にわかりやすい。当然だ!
みなさん、こんにちは!「ウッチー通信♪」のお時間です。
さて、AIに勝利したという自己満足は置いておいて、最近の科学技術の進歩、発達は目まぐるしく、 時代の流れに付いていくのがやっとという年齢になってしまっている。 頑張って時代に付いていかなければ、将来「年金の受け取り方がわからない」なんてことになりかねない。
パソコン、インターネット、ホームページ、スマートフォン、スマート家電、電気自動車など、 様々なものに導入されているAI技術の進歩が近年すさまじいのだ。 国会でも議論されているAIとの対話型プログラム「ChatGPT」。 最近、小学生が「ChatGPT」を利用して読書感想文を提出したという記事を読んだ。 「ハリーポッター」を題材にした読書感想文だが、その内容はまるで大人が書いたかのような様々な表現、 「感銘を受けた」や「涙した」などが用いられており、小学5年生が書いたとは思えない文章だった。
担任の先生が不思議に思い、本人に聞いてみたところ、「ChatGPT」に書いてもらったと打ち明けたそうだ。
その担任の先生は、インタビューに対し、 「書き方を写すだけでも学びにはなりますし、新しいものを意欲的に取り込んだという姿勢は評価しています。」 と述べた。
新しいものを取り入れようとする姿勢はいいと思うが、これでは、AIに丸投げして書かせているただの「怠け者」だ。
こういった便利なツールというものは、使い方によっては人間をダメにしていく。 要は使い方なのだ。これでは、どんどん自分で物事を考えない子供が増えていくようで、不安でならない。 便利なツールは大いに利用するべきだろう。 しかし、先にも述べたとおり、自分で物事を考えなくなってしまったら終わりだ。
「どうなっているんだろう」「なぜだろう」と疑問に思い、それを色々と調べてみたり、AIに聞いてみたりするのは結構だと思う。 このままだと、そもそも「どうなっているんだろう」「なぜだろう」と考えることもなくなってしまい、 世の中の様々な事に何も疑問を抱かず、誰かに言われるがままに働き、生きていく、 そんなまるで機械(マシーン)のような人間になってしまうのではないかと不安に思ってしまう。 大袈裟な不安であることはわかっているが…(^^;)
これから、教育の現場も時代に合わせて変化していかなければならないのだろう。 知識を詰め込んでいく、いわゆる40代50代の我々がやってきたような、昭和な暗記型の学習ではなく、 情報や知識が詰め込まれたツールを用いて、どのように役立てるのかを学ぶようになっていくのだろう。 小学校ですでに、プログラミングの授業があるように、これから10年後、20年後の未来では、 当たり前のように、ものすごく優秀な自分専用の何でも知っている「AI秘書」がいて、 その「AI秘書」を使いこなすスキルの高い人材が、世の中に求められていくようになるのだろうか。
そのころには、
「昔はよく、検索欄に単語を打ち込んで調べていたよね〜。なつかしい〜。」 「検索!検索ってしてたね〜。めちゃめちゃ懐かしい!」
とそんなことを言って「ノスタルジックな気持ち」に浸っているかもしれない。
さて!長々と近年のAI技術の進歩に伴う、おっさんの不安を語ってしまいましたが、 そろそろ「ウッチー通信♪」もお別れのお時間です。
時の流れは年々加速度的に早く感じるようになり、 気が付けばもう4月も後半に差し掛かろうとしております。 あと2週間もすればGW休校になり、GW休校明けからは、学校も本格的にカリキュラムが進んで行きますね。 中学3年生は修学旅行が控えているんですよね!楽しみですね!
しかし、それと同時に受験も確実に近付いているという事実。 その事実をちゃんと頭の片隅に置いて勉強も頑張って下さい。 受験生の皆さん、GW休校明けからは、梨ゼミの伝統「スマートフォン使用禁止」が待っていますよ。 いい意味で諦めましょう!そして、志望校合格後の3月の春休みを本気で想像しなさい。 めちゃくちゃ楽しいぞ〜!それまでは、お盆もクリスマスも正月もスマホもゲームも全部なし! み〜んな一気に2024年3月にやってくるから! 本当にアッという間に時間は過ぎていきますから、ほんの少しの辛抱です!頑張れ!
それでは、今日はこの辺で!次回の「ウッチー通信♪」をお楽しみに〜!(^-^)/
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